2018年6月18日の午前7時58分に震度6弱の地震が大阪市北区梅田に到来した。
地震は常に話題をかっさらう。
仮にもし震災による被害などがあったとしてもそれらは娯楽的レクリエイションとして消費される。
すなわち社会が災害を娯楽として認識しているのである。
ドラッグストアにフィールドワークを行ったら天然水は買い占められていた。
一方で烏龍茶は残っていたので購入した。
万民にとって水は生きるための必要不可欠的な要素なのである。
まあ地震で防災意識が高まればいいんじゃないかね。
大阪の生産と消費が地震という予測不能の災害によりて異変を伴うことを楽しみと興じることに快楽を得る。
すなわち大阪圏に住むものとしての自我的同一性保持よろしくアイデンティティならび梅田のソフトクリームが食べたい。
電車の遅延により国内総生産への損害は計らずとも然るべく甚大なものとなりたまえる。
いかに震災に備えようとも人々は水分とマヨネーズなくては生きて行けぬのである。
水とマネヨーズさえあれば生けていける。
地震により天然水が買い占められようともお茶とマヨネーズがあれば生きていける。
公園の水でもよい。
とにもかくにも自らと自身の親族の生存を第一に立脚するべきだ。
ジョージ・ソロスも述べるがごとく生き残る生存こそ第一における。
お茶とマヨネーズで生きて行くがよい。
川上量生と唐澤貴洋より面白いコンテンツは生まれない
どうせ川上量生と唐澤貴洋が最高のコンテンツなんです。
だってミクミクダンスとかコスプレとかいろいろとあるけど川上量生と唐澤貴洋が一番面白いコンテンツじゃん。
クリエイターの方々が素晴らしい商品を生産してくださっていますけどなんだかんだ言って川上量生と唐澤貴洋が一番面白いコンテンツでしょ。
いろんなネットユーザーとかクリエイターとか言論人とかアフィリエイターが才能でアウトプットしてくださってはいるけれどもまあ川上量生と唐澤貴洋が一番面白いコンテンツであると。
そもそも川上量生と唐澤貴洋とはなんなのか。
川上量生は京都大学工学部工業化学科のプログラマー・グラフィッカー・アイドルオタク・コスプレフェチの素晴らしい天才。
唐澤貴洋は慶應義塾大学総合政策学部・早稲田大学法科大学院・弁護士・アイドルオタクの法曹。
アイドルオタク。
アイドルってまさに現実とコンテンツの仲介役と言いますかリアルに架空を持ち込む存在であると。
まさしく川上量生と唐澤貴洋がリアルとネットの融合を達成したということですね。
ニコニコ動画がさまざまなコンテンツを生み出した最高傑作が川上量生と唐澤貴洋であるということ。
500文字っていうノルマです。
2ちゃんねるはつまらない人間が面白い自分を消費する場所
2ちゃんねるはつまらない。
2ちゃんねるはひろゆきがつまらない人間を集めて面白い自分を消費させて金を稼いだ場所。
ツイッターの面白い人たちに憧れユーチューブのヒーローを羨む人間の場所。
そもそも魅力的で面白ければ2ちゃんねるではなくツイッターでセルフ・ブランディングをすればいい。
この2018年に2ちゃんねるに執着している人間のつまらなさと言ったら目も当てられない。
ていうかいい加減に2ちゃんねるに飽きればいいものを何の影響力もない2ちゃんねるに固執して何が面白いのか。
ツイッターで影響力を行使したければ著名人に寄生して政治経済社会について居丈高につぶやけばよいのだ。
それを2ちゃんねるなどという匿名の何の物語性もない媒体で意味のないことをごちゃごちゃごたごたと。
せめてコテつければいいじゃん。
匿名文化とか言ってただ自分に自信がないだけでしょ。
意味分かんない。
んで2ちゃんねらー同士で俺たち面白いとか言って人気者を消費して何が面白いのか意味が分からない。
スラングと悪口で字数を稼いでそこまでして2ちゃんねるに書き込みを投稿する理由が分からない。
意味ないでしょ。
このブログも500字のノルマみたいなのがあって。
メタ認知能力が低いとは滑車を回し続けること。
メタ認知能力が低いとは滑車を回し続けること。
対立煽り悪口風味は飽きられることのない味付けだ。
2ちゃんねるでは同じ悪口と対立煽りで1日250万もの書き込みを獲得している。
メタ認知能力の低さというものは滑車を回し続けることに等しい。
悪口と対立煽りを悪口と対立煽りと認識すれば2ちゃんねるに書き込む意欲もなくなるのである。
暇を持て余した2ちゃんねらーは目的もなく2ちゃんねるで悪口と対立煽りを回転させ続けることになる。
それらは決して誰かに自分の存在を知られることもなく続けられる。
2ちゃんねらーは生産と消費に貢献しているのかもしれない。
もしも2ちゃんねるが社会の役に立つとしたらまずは悪口を無くすことだろう。
しかし2ちゃんねるから悪口を無くせばその時点で2ちゃんねるの求心力は失われてしまう。
2ちゃんねるは悪口と対立煽りで支えられているのである。
2ちゃんねらーは悪口と対立煽りで互いを拘束し合うことで書き込みを継続しているのである。
インターネットの中でも手軽に注目を浴びて全能感が得られる2ちゃんねる。
世界はお金と法律でできている。
世界はお金と法律でできている。
自分の稼ぐ能力の低さを正当化するためにいろいろな理由づけがなされている。
恐らく自分が稼ぐ能力に秀でていないことを認めたくないので妄想している。
妄想は全能なので自分がそれほど社会に影響力を持っていなくても幸せに暮らせるのである。
たった3行の文章にすら影響力で勝てない者たち。
結局のところインターネットは0.1%が楽しい人生を送るために99.9%がクリックしてくれているのである。
わざわざインターネットにアクセスして何の得にもならない話で盛り上がってくれているのである。
もちろんそんな人たちを相手にする必要は無いしハナからどうでもいい存在なのである。
世の中は金持ちとエリートに媚びていればどうにかなる。
金や力・影響力を持ってる人に媚びていればいい。
どうでもいいインターネットのどうでもいいコミュニティで自尊心を保つどうでもいい人生。
インターネットのどうでもいい側面に気づきながらも続けてしまう矛盾。
インターネットは金儲けの道具でありそれ以外は安いものを買ったり調べ事をするだけでいいのだ。
インターネットに酔いしれているのは幸せなことである。
自分に何の権限も影響力も無いことに気づきつつも自分は充実していると自分に言い聞かせて生きていけばよい。
インターネットで気持ちよさそうに雑談。
インターネットで気持ちよさそうに雑談。
インターネットの住民が気持ちよさそうにインターネットで雑談している。
本人らが楽しければよいのではないかと思う。
雑談が生産と消費に繋がるのであれば好ましいことだ。
インターネットのコミュニティで宣伝が促進されるならばよいことである。
とにもかくにも生産と消費に貢献できれば何でもよいのだ。
とっくにインターネットに飽きてしまった者も飽きてない者もインターネットに時間を貢げばよいのである。
要するにインターネットに時間を貢ぐことが時代の最先端なのである。
好きなだけ時間を貢げばよいのだ。
誰もインターネットに時間を貢ぐことを止めはしない。
好きなだけインターネットが楽しめるのだ。
1円も貰えなくてもインターネットを好きなだけ楽しめばよいのである。
インターネットは表現の場である。
インターネットはお金を稼ぐ場所ではない。
性格のいい者ほどそう考えている。
だがしかしインターネットで稼げる者は違う。
インターネットで稼げる者は時代の最先端である。
インターネットで最先端なのはインターネットでお金を稼いでいる者だけなのだ。
インターネットで稼げる者を尊敬することは自然なことである。
インターネットへの夢と希望はお金儲けだけなのである。
ネットには暇人がぶら下がっている。
ネットには暇人がぶら下がっている。
インターネットには暇人がぶら下がっている。
かつて持て囃されたインターネットの明るい未来も今は昔。
一部の才覚あるユーザーだけがインターネットで富を得た。
インターネットは夢の存在ではなく商売道具だったのである。
今もインターネットは夢を売ってお金を稼いでいる。
インターネットで夢を掴めた者はどのくらいいるのだろう。
こうしてインターネットの夢や理想が覚めていく時に新しいテクノロジーが生み出される。
人工知能を使いこなせる者だけが利益を得ることができる。
インターネットは情報格差を生み出して所得格差を生み出した。
インターネットは何でも叶えてくれる夢の楽園ではなかった。
インターネットは全てを均一化して数値化してしまったのである。
今はまだ気づいていないネットユーザーも多い。
インターネットが金儲けの道具でしかないということに。
0.1%がお金を儲けるために99.9%がクリックしているのだ。
インターネットに時間を消費されるために夢中なのだ。
奇妙なことにインターネットで稼いでいる者はインターネットを冷めた目で見ている。
賢いのだ。
インターネットで稼げる0.1%の者は賢いからインターネットを神格化したりしない。
インターネットを神格化しているのは時間を支払っている99.9%なのである。