傷だらけのセルフ・ブランディング
僕の生き甲斐はインターネットでゆるいつながりを享受する事だった。
インターネットには無限の可能性があると信じていた。
インターネットには素敵な出会いがあると信じていた。
インターネットとともに青春を過ごした。
僕がインターネットが搾取であると気付いたのは最近のことだった。
インターネットに出会いを求めるのは間違っているだろうか。
インターネットで奇妙な出来事が起こるたびに炎上と称されて大きく盛り上がった。
今ではその炎上さえも消費し尽くされてしまった。
インターネットを虚しく徘徊するだけの日々。
クリックするために。
僕は目が覚めるといつものようにスマホを起動させた。
本当にルーティン・ワークとしてこの液晶を触っている。
一体この液晶の向こうには何があるのだろう。
テクノロジーの疑問を問い詰めているわけではない。
僕はこの画面の向こうに居る幸福の戦士たちに問いかけているのだ。
インターネットの普及とともにコミュニケーションは激変した。
そしてインターネットによるコミュニケーションの変化に対する言及さえももはや古い行動であると言われている。
僕がこうしてインターネットのコミュニケーションに疑問を抱いた理由は他でもなく所得格差だった。
インターネットは楽しい娯楽でもコミュニケーションツールでもなかった。
インターネットは厳格な仕事場だったのである。
インターネットに奇妙な違和感を感じることさえもやめてしまいクリックを繰り返すユーザーたち。
楽園のふりをした搾取システム。
閲覧数を増やすためのPV稼ぎ。
謎のプライドを懸けた戦い。
傷だらけのセルフ・ブランディング。
いずれにせよやましい狙いがあるに違いない。
ネットでは多くの企業が商売のために活躍している。
経済への貢献と言えば聞こえはいい。
インターネットではやる気のある者はとことん出世できる。
才能を数値化して現金化できてしまう。
僕はインターネットで金を稼いでいる者は素晴らしい才能だと思う。
一方でインターネットで稼いでいない者はどうなのだろうか。
インターネットでは常に他者に見られているという猜疑心と自己承認欲求が擽られる。
インターネット依存症の多くはその絶妙な心理的作用へのアプローチによるものだ。
訪問者の多いサイトには様々な客寄せの工夫が凝らされている。
2ちゃんねるでは心理学を駆使した悪口と対立煽りが展開されている。
何より面白いのは2ちゃんねるのユーザー同士がユーザーを煽り合っている。
2ちゃんねるの共生システムには管理人の素晴らしさを再認識させられる。